力士(お相撲さん)は取り組みで黒星がついた(負けた)時、どんな質問が来ても「稽古不足です。」と答えるそうです。
稽古の仕方をどうこうとは言いません。
親方は一人に付きっ切りで指導はしません。
しかし朝食の前から朝稽古に付き合い、じっと鋭く注意深く見ています。
そして、分かりませんが、100稽古をして、やっと1の助言をもらえるくらいでしょうか。
基本的な稽古にも全てに意味があります。
体で色んなことに気付き、工夫します。
またその100の稽古の間に力士の体が作られ、筋力がついてます。
その稽古する姿をじっと見守り、観察し、親方は適切な指導を入れます。
力士は1の指導をもらうにも100の準備が要るわけです。
これを勉強に置き換えてみてください。
いつも「勉強のやり方がわからない」と言っている生徒さんは、素直に、愚直にするべき100の学習を怠る方に多いのです。
また、何度も「うちの子、勉強のやり方が分かっていないみたいなんです」と仰るご家庭はこの感覚が薄かったり、その訓練を小学校のうちにされていないご家庭が多いのです。
(※もちろん100%ではありませんよ!)
そして勉強をとても簡単に、インスタントに考えておられることも。
実際はもっともっと大きく深く考えないといけません。
「すぐにやせるサプリメント」で、ものすごく効果が出て、長年バカ売れを続けているものがありますか?
中華料理の専門店で200円くらいのとても美味しいインスタントラーメンが出てくるのを見たことがありますか?
実際「まずは守るべき塾の学習ルール」を守るように言っても半分もきちんと出来ない、やろうとしない。
結局は自分なりのやり方を曲げない、そしてなかなか力もつかないのです。
力(パワー)のない生徒さんを指導するのは本当に大変です。
ほぼ決まってお家の方は「手取り足取り、厳しく教えてくれ」と仰います。
そしてあろうことか生徒さん自身もそれを望んでいたりします。
いえいえ、それまでに甘やかされていることが大問題なのです。
そういうお家は口だけうるさくは注意されるのですが結果が出ない。
それは「うるさい」であって、「厳しい」ではない。
結果が出るまでさせる習慣をつけておられない。
本当はうっすらあきらめ気味。
「中学生になって親があまり言ってもねえ」が口癖。
実際はすごくすごく甘いのです。
これでは塾の講師が力を補うことになります。
エンジンのついていない車を運転手が後ろから押すようなものです。
勉強はこれではいけないのです!
決して責めているわけではありません。
目的は同じはずです。
お子様の学力を健全に、大きく伸ばして頂くために、もし少しでも思い当たる節があれば、よくある事例に気付いていただきたいのです。
さて、もしお子様が相撲部屋の門をたたいたばかりの新米力士だったらどうですか?
それでもお家の方は「うちの子、稽古のやり方がまずいのではないか」と仰いますか?
厳しい世界で結果を出している相撲部屋に「もうちょっと工夫してくれ」と沢山の汗を流している先輩力士の前で言えますか?
まずは稽古、稽古、稽古、稽古、稽古、稽古、稽古です。
そして100ではなく、それまで何万の稽古をしてきた大先輩の力士でも、取り組みで負けたら同じことを言います。
「稽古不足です。」
当塾では(相撲の股割りほど)最初から高い要求はしません。
素晴らしい仲間との、楽しい対話探求型の集団指導もあります。
その後は長時間演習ですが、少しずつ達成感を味わいながらやっていけるように塾の「学習ルール」は考えて作られています。
そのほんの少しずつを素直にするだけの気持ちさえあれば必ず学力も成績も必ず上がります。
面白くなるのはそこからです。
お子様にとって、稽古(勉強)のやり方が良い、悪いも確かに重要です。
しかし、まずは決まったルールで愚直に続ける稽古(学習)の中にこそ、
・本当の厳しさ、
・やり方の工夫、
・学ぶ力(学習筋力)の向上、
・講師との心の会話、
・頑張れば頑張るほど役に立つ適切な助言の受け取り(←ここが塾の本領発揮)、
・達成感、
・その先の喜び、
・そのまた先の大きな喜び
が含まれているのです。
失礼を承知で書きましたが、
すべては目先の点数や喜びではなく、本物の学力、本当の喜びのためなのです。
おわり