学習塾は生徒の成績を上げるのが仕事であって、
学習塾が教育を語るなと言う人もいるけれど、
いざ自分も子どもの親になると、
本当に教育って何だろう?
勉強って何だろう?
と毎日折にふれ考えます。
対症療法的に、その場限りの対応だけでは
定期テストの「成績」をすぐに上げることはできても、肝心の「学力」はなかなかつかない。
また、適切なアドバイスを送ったとしても
その真意が子どもにすぐに100%伝わることはなかなかありません。
山で育てば花粉症はなくなります。
北国で育てば寒さにも雪にも強くなります。
優しい人に囲まれていれば優しい人に育ちます。
いつも何かにチャレンジしている大人がそばにいれば、チャレンジを楽しめる人になります。
やはり環境を整えておくということが
一番の教育なのかなと思っています。
これは本当に大変な作業です。
子どもにとって
そこに今高い木が必要ならば、
ずっと前に、
子どもの気づかないうちから、
先で必要になるだろうと
そっと木を低いうちから植えて
育てておくような作業です。
甘やかしということではありません。
木の実を採るのは子供自身です。
木の実を採りなさいとも言いません。
子ども自身が、そこに大木があり、自分の背の高さからすると工夫すれば木の実を採れるんじゃないかと気づく機会を作っておくという意味です。
そこに木がなければ、実がなければ、それを採ることも叶わないのですから。
最近すごくそういうことを考えます。
子どもを常に怒鳴って叱るようなことばかりしてはいけない。
禁止や命令ばかりで子育てをしてはいけない。
何でこんな簡単なこともできないの、分からないのと怒ってはいけない。
他の子や自分の過去と比べるようなことばかり言ってはいけない。
何でもすぐに結果を求めてはいけない。
どんな子どもも環境で大きく育ち方が変わります。
つまり、もし子どもに腹が立つ様なことがあっても
それはその環境を用意できなかった周りの大人、すなわち自分にも大きな責任があります。
今、目に見えていることだけでなく、
今までに必要な木を沢山植えておいたのか?
長い時間をかけて林を作ったか?
子どもが自ら伸び伸びと育つための森を作ったのか?
それぐらい教育は大変で難しい。
…と静かに考えなくては。
子どもが悪い?
いやそれは違うでしょう。
そんな風に考えるようになりました。
私も子どもたちと一緒に日々学び、
子どもたちから沢山のことを教えられています。
全方位に神経を集中しなくてはいけません。
そういう意味では大人も常に成長しなければ。
あ、
常に成長する覚悟を決めた人が本当の大人なのかな?
そう覚悟を決めてしまえば、この大変な作業も
子どもたちと楽しんで精一杯やればいいのかな?
正解はないのですから。
共に成長することこそ一番大事なのかな?
そんな風に思います。