投資としての教育の意味

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「投資としての教育を考える」

要約しますと…

学校教育における「平等」や「一律」という資源配分は、むしろ格差を拡大させる方向に作用…格差がいけないのではない…問題は、格差間の流動性…セイフティネットが存在しているかどうか、能力ややる気に応じて挑戦する機会があるかどうかということが重要…
(出典:WEDGE Infinity)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9970

常々そう思っております。子供たち一人ひとりの能力を伸ばせない今までの教育システムは、明らかに逆差別ですが、そこには期待はしません。学校は勉強だけを学ぶところではないからです。そして変化を待っている時間が例えば2年かかったとして、その2年間子供たちの貴重な貴重な時間が過ぎて行ってしまうわけです。であるが故に、今の時代には私塾の役割は大変大きく重責であると思います。